ただ今絶賛2度目の不登校中。自閉症スペクトラムの高校生男子&ママの幸せ探し珍道中。
中学1年ももうすぐ終わりという3月のある日、明日平は突然学校に行けなくなりました。
中学に入学してからのほぼ1年間、インフルエンザで学校を休んだ以外は、授業もクラブも無遅刻無欠席でした。
元々発達の凹凸がある子なので、中学進学の際、適応できるかどうか心配していたのですが、思ったよりあっさり乗り越えてくれました。
(中学進学の際の、小学校からの申し送り・引継ぎについては別記事にまとめる予定です。)
しかも本人の希望でクラブ仲間と同じ塾にも入り、「学校の授業と塾と運動部を両立して偉いな~♪」と感心さえしていました。
今回の記事は、明日平の不登校のきっかけについてです。
延々と連帯責任で全員で怒られ続けるという状態が年明けまで断続的に続きました。
全員で立たされたり、罰で学校内外の掃除をしたりしてクラブ活動ができない日々が続き、保護者達からの苦情も入りましたが全く改善されず…。
私の方からも、「当事者達は全く気にしていないのに周りのお子さんたちのモチベだけが下がって、このままでは心配です。」という現状は学校に報告させてもらっていたのですが。
夏の間はまだ持ちこたえていたのですが、秋口から少しづつ明日平の様子がおかしくなってきました。
この時はまだ具体的な診断はおりていませんでしたが、明日平には「自閉症スペクトラム」の傾向がありました。
真面目で融通が効かず、言葉通りに受け取ってしまうところがあるため、連帯「責任」を自分事のように感じ自分のふがいなさを責めるようになっていきました。
あれから3年たった今も、「責任」という単語が耳に入るとパニックになります(泣)
よっぽど辛かったのだろうと思います。
でも、小学校からのお友達数人と行動を共にしたいという思いが強いのと、責任感が人一倍強いのとで、クラブを辞めるという選択肢は本人にはありませんでした。
当時の私には、「中学生になったのだから自力で問題解決する力をつけさせたい」という思いもあり、本人の意思を尊重してしまいました。
今にして思えば、あの時無理にでもクラブを辞めさせていたら…、と後悔しきりです。
明日平は小学校の高学年の時、手洗いがやめられなくなった時期がありました。
冬に手に粉が吹いて真っ白になり、ビックリして皮膚科に行ったのですが、
「お子さんにはよくあることだから心配しないで。そっとしておいた方が自然に収まるから(^o^)」
という先生のアドバイスをいただき、少し楽観していました。
そして先生の指示通り、手洗いについておおらかに見守るように心がけているうちに、いつの間にか強迫症状が治まりました。
(この後別件がきっかけで、小児科で初めて「自閉症スペクトラム」の可能性を指摘され、児童相談所に相談に行くのですが、その話はまた別の機会に。)
ところが2年の時を経て、小学校の時にもあった強迫の症状(主に潔癖症)が再び中学1年で出てきました。
小学校の時の潔癖が可愛いとさえ思えるほど、強烈な潔癖症が出て徐々に生活に支障をきたすようになりました。
まず、外のものを家の中に持ち込めなくなり、学校や塾の宿題を玄関土間で済ませるようになりました。
教科書や服など外で使うものを全部、全部玄関に置いておく状態がずっと続き、それはちょっと異様な光景でお客様も呼べなくなってしまいました。
学校から帰るとまず宿題と翌日の時間割を玄関土間で終え、服を全部脱いで洗面所に直行して、長い間シャワーを浴びていました。
ず~っとシャワーを浴びているので時間が経ってしまい、帰宅して宿題をしてシャワーを済ませると、あっという間に塾の時間になってしまい…。
その後塾に行って帰ってきても、また服を全部脱いで洗面所に直行して長時間シャワーや風呂に入っていました。
本人も風呂やシャワーを辞めたいのに辞められず、泣きながらシャワーを浴び続ける日々が続きました。
服もシャワーのたびに全とっかえで、このころは2人家族なのに1日に3回も洗濯していました。
そして外出するたびの手洗いや風呂にこだわりすぎて疲弊してしまい、そのうち塾に行く気力をなくしてしまいました。
親子でいろいろ相談した結果、塾を辞めることに…。
その時は、塾を辞めて夜ゆっくり休む時間を確保できたことで、何とか2学期を無事終えることができました。
学校から帰ってから出かけることがなくなったので、それまで何度も入っていたシャワーとお風呂の回数が減ったのも、心理的な負担減につながったと思います。
後付けの理由ですがもう一つ、この年の夏からジュニアプロテインを飲み始めました。
運動部だったので身長を伸ばしたいから、という理由からですが、今にして思えば、クラブから帰宅してすぐ毎日プロテインを飲んでいたのも体力と気力の温存に役立っていたと思います。
(これが今、「睡眠」と「休養」と「栄養」を特に大切にするきっかけとなっているのですが、この話はまた別の機会に。)
年が明けて「不真面目を罰する連帯責任」の懲罰が終わり、やっと本格的にクラブ活動が始まると、今度は部員の「下がったモチベを叱責するための連帯責任」の懲罰が始まりました。
いろんなパターンの連帯責任ペナルティがあったのですが、明日平は「声が小さい」と責めらるのが一番つらかったようです。
「声が小さい」とか「やる気を見せろ」と言われ続けたのですが、チビの特性上、指示が曖昧すぎてどうすればいいか分からなかったみたいで…。
そのころタイミング悪く、学校行事で歌う合唱練習があり、「声が小さい」と学年全体練習でも(全員に向けて)指摘されたようで悪いことが重なりました。
「毎日声を出せと怒られる。出しても出しても怒られる。もっと大きな声ってどれ位のボリュームか分からない」と自宅で泣くことが続きました。
そしてその内普段の「声」も出せなくなって、オドオドして挙動不審ぽくなり、同級生にからかわれるようになりました。
ここでさすがに明日平本人も、もうクラブは無理だと思ったようで、私にクラブを休みたいと言いました。
(辞めるのは自分で自分が許せないので、ひとまず「休む」という選択をしたようです。)
私もずっとクラブなんかやめちゃえばいいのに、と憤慨していたので、渡りに船と即効で顧問に電話しました。
ところが顧問は、「厳しいことを言うようだけど、あえて明日平君には乗り越えてもらってクラブ活動させたい。」と。
私はオバちゃんなので「はぁ?クラブを辞めるか辞めないかはこっちが決めることですけど。」と思ったのですが…。
明日平はクラブを休むことすら許されないと思い詰めてしまい、その日ずっと勉強机の下にもぐって泣いていました。
クラブの顧問との全くかみ合わない電話の次の日、暗い顔で学校に行った明日平は、午後になって学校を早退してきました。
後で聞くところによると、クラブの時間が近づくと不安で気分が悪くなったんだそうです。
カウンセリングルームにいったん退避したのですが、先生から「大きなストレスがかかって乖離しているようだ。今日は連れて帰ってゆっくり休んでください。」と言われました。
無表情でボーッとして抜け殻みたいな、一種の放心状態になっていました。
何か聞かれても無言か、「わかりません」とつぶやくことしかできなかったようです。
そしてクラブも、私の強い意志で休養させることにしました。
(クラブでの問題は前の年から何度も問題になってるので話がスピーディで、最終は上の許可をもらって休部させました。)
1週間学校とクラブを休み、春休みを自宅でゆっくり過ごしたら、2年生はまた元気に登校してくれる、とその時はまだ信じていました。
中学不登校だった息子・明日平が、高校で再度不登校になりました。
不登校の最初の始まりは、中学1年の3月半ば。
そこからずっと勉強も手につかずにいたのが、中学三年の秋に「普通高校に入りたい」と一念発起。
中三の九月から2年分の勉強を自宅で自力でこなして、普通高校に入りました。
最初は嬉しそうで希望に満ちあふれていたのですが、そのタイミングでまさかのコロナ禍。新学期から6月までずっと休校で、リモートで朝礼と夕礼。
宅配便で定期的に箱一杯に送られてくる宿題で、毎日パニックに…。
そして分散登校が始まっても、休み時間や昼食中は私語禁止で、引っ込み思案な明日平は友達も作れず。
最後は鬱状態で授業や宿題が手につかなくなり、頭を抱えて震えながら泣くようになりました。
保護者の私から先生に子供の状態を報告して相談したところ、「明日平君と話し合います。」とのことだったのですが…。
「辛いのは皆同じだ。甘えるな!」
という叱責を受けることになり、「ママ、なんで先生に相談したん?」と帰宅するなり号泣する明日平。
入学前からチビについてはいくつか配慮をお願いしてあって、先生も承諾して下さってたんですが、このコロナ禍では「皆しんどいんだから…」というしかなかったのかもしれません。
1度目の不登校で弱って完全回復していなかった心が、とうとう壊れてしまいました。
そして、そこから一度も学校に通えなくなりました。
後日談で分かった事ですが、先生的には愛ある叱咤激励のつもりだったそうです。
確かにあの時期、世の中のお子さんほぼ全員が同じ境遇にありました。
なので、甘えだと言われたら確かに甘えかもな、と認めざるを得ませんが…。
でも、助けを求めた先から「甘えるな」と突き放され、絶望してしまった明日平なのでした。
そして2021年3月、留年となった明日平は、今の学校でもう一回1年生になることを諦め、通信制高校への転学を決めました。
不登校を克服して勉強にいそしみ、頑張って入った高校を諦めることができず、ずっと葛藤していましたが、ここにきてやっと決断。
学校から、それとなく転学を促されてのことなので本人的には消極的な動機ではありましたが、私は親としてこれをチャンスととらえたいと思っています。
明日平が今度こそ安心して生きられる居場所を見つけるのを、微力ながらサポートしていく所存です。
元々2014年から運営しているブログがあるのですが、このブログはそこからのスピンアウト版になります。
自閉症スペクトラムという発達障害をもつ子供を育てたことで、今まで見えなかったことや知らなかったことに沢山気づくことができました。
そして、思春期を迎えた子供が不登校になって、そこで初めて知った事もたくさんありました。
こういった事はなかなか当事者でないと分かりづらいことがあるので、記事を書くからにはご縁あってお目に留まった人に少しでも役にたつ情報を残したいと思いました。
ただ、メインブログの方は、お出かけ日記中心につづるブログだったので…。
そこに、別テーマで新たに不登校関連の記事を詳細に書いていくのは難しいと判断して、別ブログを立ち上げた次第です。
このブログでは、うちの明日平の不登校のことや、その原因となった発達障害や二次障害のことについて、もっと突っ込んで掘り下げてみたいなと思っています。
というのを実は前から考えていたのですが、ここ数年はブログに書く勇気も気力もなく…。
(勇気、というか、再度思い出すのがまだ時期的に辛かったというのがあります。)
ですが2度目の不登校が落ち着きつつある今がその時だと、今回思い立ちました。
そんなこんなで、今まであったことを振り返りつつ現在進行形の話も含めて、じっくり書いていきたいなと考えています。
過去と現在が入り混じる構成になりますが、できるだけ分かりやすくまとめていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。