ただ今絶賛2度目の不登校中。自閉症スペクトラムの高校生男子&ママの幸せ探し珍道中。
正直完全不登校になりたての最初の1か月のことは、ほとんど覚えていません。
子供はもちろん、 私も頭真っ白でした。
今にして思えば、記録として日記でもつけておけば…と思うのですが、当時はそんな余裕はありませんでした。
そんな中、この時期一番つらかったことだけは覚えています(というか、忘れられません)。
それは、先生やお友達・クラブの部員からの登校刺激や家庭訪問です。
もちろん明日平のことを思っての善意からやってくれた事でしたが、これが当時明日平には一番堪えたようでした。
これはもう完全に人様の善意なので、普通の人なら「家まで持ってきてくれるのが辛いとはけしからん!」となると思います。
ですが、我が家の場合、早急にお断りしました。 (最終、先生に分かってもらうにはだいぶ時間がかかりましたが)
学校の通学路沿いに家があるので、帰りについでに入れてくれるだけなので気にしなくていい、と(先生からは)言ってはもらえたのですが。
先生は「気にしなくていいですよ😉」と言うけれど…。
逆の立場で考えると、毎日頑張って通学している自分の子供が、不登校児のために連絡帳とプリントを届ける係になったら、「先生」はよくても「親」としては複雑だろうなと思いました。
しかも、よかれと思ってやってくれていることなのに、明日平は夕方のポストの音と子供達の声におびえるようになり…。
私も、善意を素直に喜べないことが心苦しくなってしまい、いろんな面で本末転倒なことになっていました。
なので先生にお願いして、1週間に一度近況報告も兼ねて私が職員室に出向き、学校カウンセリングの日にプリントなど配布物をいただいて帰ることにしました。
あと、先生の訪問や電話もしばらくストップしていただくことにしました。
それから、毎朝私からの「休みます」という電話もストップさせていただくことにしました。
(毎日学校に電話するのが辛かったので😥)
これで少し私の気持ちが楽になりましたし、明日平も夕方神経をとがらせることもなくなりました。
話をしてみると、明日平とゲームがしたいとのこと。
明日平に、「〇〇君が来てくれたよ!」 と言うと、明日平は慌てたように何度も首を振ってトイレに逃げ込んでしまいました。
この時私は理由が分からなくて、せっかく来てくれたのに何で対応できないんだろうと思いました。
学校に誘いに来たのではなく、単に遊びに来てくれただけなのに…。
でも実は、せっかく来てくれたお友達になぜ会えなかったのか明日平本人も理由が分からず、ほかでもない本人が一番混乱していました。
小学校の時からの親友の訪問にも慌てふたいめいて隠れてしまった自分が情けなくて悔しくて、その日ずっと泣いていました。
また別の日には、クラブの仲間が夕方5~6人で家にやってきてくれました。
この時も、明日平はトイレに逃げ込んでしまったので私が対応し、皆が帰った後ずっと泣いていました。
「お友達と会いたいし、ワイワイがやがや学校生活をしたい」というのが明日平の望みなのに、それができない事が、この時以来何年も明日平の苦しみの原因になりました。
これは親の立場からの話なので、また別テーマで詳しく記事を書くとして、この時期辛かったもう一つのこととして書いておきたいと思います。
不登校になって数週間後に、「子供から聞いたんだけど、学校休んでるんだって?」とママ友からメールと電話がありました。
少しズケズケ何でも聞いてくるママなのですが、不登校の理由がどうしても知りたかったみたいです(笑)
あまりしつこいので「今は何も聞かずそっとしておいてやりたいんだ~」と言うと、「なんでー?心配じゃないの?なんで追及しないの?」と質問攻めに…😫
スーパーで別のママにあった時もやんわりと聞かれたし、うちの実家の親もスーパーで「おたくのお孫さん、学校に行ってないんだって?」と聞かれました。
なので、あの当時、近所中で噂の的になってたんだろうと推察しました(笑)
家にも電話やメールが来るし、外にでると挨拶がてら色々聞かれるし、もう人と会ったり話したりするのが辛くて辛くて…。
なので当時は、スーパーへのお買い物はいつも夜9時以降に行ってましたし、宅配便も夜配達指定にして、誰とも顔を合わせないようにしていました。
親の私がこんなに昼間の社会生活が辛くなっていたのだから、明日平も辛いのは当然で、この後明日平はどんどん昼と夜が逆転した生活になっていくのでした。
1年生もあと最後の一週間という時に、学校に行けなくなってしまった明日平。
春休み期間中、 クラブも含めて完全休養し、ゆっくり体調を整えました。
学校との話し合いや必要な配慮についての打ち合わせも事前に済ませ、あとは本人が登校するのみです。
明日平も、1年の最後に休んでしまった負い目もまだ感じつつ、久しぶりにお友達に会えるのも楽しみにしていました。
今にして思えばこのころから既に、強迫の症状以外にも、人目を気にする症状も出始めていました。
この日も、いざ朝になると急に登校するのが怖くなった明日平。
学校に電話して、皆の登校時間と少しずらしてもらい、10分ほど遅刻して学校に到着しました。
そして校門で待ってくれていた1年生の時の担任の先生に付き添われ、同級生が集まっていたクラス替えの紙が張り出されている場所へ。
明日平のクラスの紙の前にいた、仲の良いお友達数人の輪にさりげなく合流させてくれました。
クラスは、前回の記事で書いたように明日平と仲良しのお友達を一人、同じクラスにしてもらえていました。
小学校から明日平をいじってからかう某ヤンチャな子も、別のクラスに配してもらいました。
ただ、やはりすべてが思い通りにというのは無理で、「某ヤンチャな子」の子分格の子が同じクラスになりました。
(これが後々のトラブルのきっかけになるとは…)
始業式を済ませ、午前中で帰宅した明日平。
すごく緊張して学校に行っていたようで、たった2~3時間のことだったのに、かなり疲れた様子。
まるで遠足か運動会から帰ってきたかのような疲れ具合で、私はそれが少し気になりました。
ただ、本人は学校に通う気満々だったので、たくさんの新しい教科書に一つ一つ名前を書いて翌日に備えていました。
「〇〇君と同じクラスになれたよ!」とか、「クラブの先生が遠慮せず休んでいいから、気にしなくていいからって言ってくれた♪」とか、学校の話をたくさんしてくれていました。
「やはりゆっくり休ませてよかった、長期休み前に不登校になったのは、逆によかったかもしれない」と思っていた矢先。
ある日、案の定某ヤンチャな子の子分にちょっかいを出されて皆に笑われたことで、緊張の糸が切れてしまったようで…。。
先生にも告げず、突発的に荷物をまとめて学校を飛び出してきてしまいました。
玄関に入るや、
「ママ、家でちゃんと勉強するから。
家でちゃんとした生活するから。
もう学校に行かなくていい?」
と言って、玄関土間に座り込んで号泣しました。
私も涙を抑えきれずに、玄関土間で2人抱き合いながら号泣しました。
明日平はこの日を最後に全く学校に行けなくなり、完全不登校になりました。
中一で初めて不登校になった時は、本当に突然でした。
クラブのトラブルがあって日々悩んでいたけど、日常生活は普段通りでした。
普段通りといっても、毎日かなり頑張っていたのですが、 はたから見ていて体力面では特に何の問題も感じませんでした。
ある日突然、ぼーっとなって何も考えられなくなってしまい(カウンセラーさん曰く「乖離状態」)、早退してきました。
その後数日間は布団の中にずっといましたが、あとから考えるとこの時は回復は早かったです。
ところが、中二になってから私がずっと気になっていたのは、毎日学校から疲労度マックスな状態で帰ってきていたこと。
トラブルがあって心理的な原因で学校にいけなくなった1年生の時と違って、2年生の時は疲労が積み重なって、気力がポッキリと折れてしまったような印象でした。
心は限界を迎えつつあるものの、でも気力・体力でなんとか頑張っていたのが、もはや体力さえ限界を迎えた、という感じです。
後々になって「慢性疲労症候群」という言葉を知るのですが、あの当時は今にして思えばまさに「慢性疲労」の状態だったと思います。
当時の明日平は、ぼーっとしてユラユラしながらトイレに行ったり、それ以外は寝込んでいるかどちらかの状態で、およそパワーいっぱいの思春期男子とかけ離れた様子でした。
当時の私はまだ不勉強で、明日平の身体の中で起こっていることは具体的には分かっていませんでしたが、明日平の様子を見て「これは大変なことになったな」と思いました。
子供の前では「ゆっくり休もうね♪」と冷静を装いつつ、頭の中は「どうしたらいいんだろうか…。」と大パニックになってしまったのでした。
1年生の学年末、突然学校に行けなくなった明日平。
しばらくは寝込んだり落ち込んだり大変でしたが、 日にち薬というのか、日々少しづつ落ち着きを取り戻していきました。
4月の頭には児童精神科を受診し、いくつか所見とアドバイスをいただけたのも、心強かったです。
相変わらず潔癖恐怖のため外に出かけることはできませんでしたが、学校のお友達数人でラインで通話しながらゲームを楽しめるまでになりました。
まさか完全不登校になるとはこの時は全然思っていなくて、どうしたら新学期、安心して登校できるだろうか、とそればっかり考えていたのがこの時期です。
今日のお話は、春休み中に学校に対して新学期からの配慮をお願いしたお話です。
春休み明けの新学期と言うのは、不登校のお子さんに限らず、誰にとっても新鮮な気持ちになるのと同時に不安も大きい時期です。
子供達にとっては、担任の先生が変わるのももちろんですが、なんといってもクラス替えが一番の心配事なのではないかと思います。
2年生になる前の春休み、我が家もそれが一番心配でした。
この時はまだ、春休みゆっくり休んで心機一転、また新しい学年からやり直せると、明日平本人も私も思っていたので…。
ただ、学年末に1週間休んでしまった負い目がすごくて、学校に行きづらいようだったのが気になって、病院の先生やカウンセラーさんに相談しました。
どちらの先生も、「学校と保護者の間の情報共有や、必要な配慮をお願いすることは、ぜひ遠慮なくやりましょう」とおっしゃいました。
特に病院の先生からは、「当然の権利なので必要なことは遠慮なく言うように。」と、割と強く言われました。
子供の現状や特性に合わせて色々お願いすることを「合理的配慮」というそうで、この時初めて知りました。
カウンセラーさんからは、クラス編成や担任の選定に関してもこちらの希望を伝えてもいい、ともアドバイスをいただきました。
ところがそんなアドバイスはいただいたものの、今まで学校に何か特別に依頼したことなどほぼ皆無だったので、しばらく悩みました。
特にクラス編成に希望など出したことがないので、モンスターと思われたらどうしよう…😫と思うと最初はものすごく気が引けました。
ポイントになるのは、強く依頼したり強制したりするのではなく、あくまでも「こちらの困り事や希望を知ってもらう」ことなんだそうで…。
こちらが困っていることを具体的にお知らせして相談した結果が、クラス編成の参考にしてもらえたのであれば、別にモンスターでも何でもないそうです。
これは後に学校の先生からも同じことを言われました。
私がガチガチに緊張して、平身低頭で「すみません」と連発しながら、事前準備したメモを見ながら先生に新学期からの配慮をお願いしていたからなのですが(笑)
「色々教えてもらった方がより具体的に対応できるし、その方が学校としてはありがたいので、何でも相談してください」と言ってくださいました。
今改めて思い出してみるに、学校には頭を下げてお願いしたりお詫びしたりの連続で、とても苦しかったです。
病院の先生から「当然の権利」とは言われたものの、私の性格上、「うちの子のために〇〇して下さい!」 と堂々と胸張って言えませんでした。
私だけじゃなく、同じような人いっぱいおられるんじゃないかな~と思います。
もっと世の中の理解が進んで、発達に個性のあるお子さんやその親御さんが、必要以上に頭を下げたり恐縮したりしなくて済むような世の中になってほしいな…と思います。
ということで保護者から学校にお願いしたのは、下記2点。
一番の要望は、クラブはもうやめたいし、誘わないでもらいたいこと。
(春休み中に、「ランニングだけでも来ませんか~。体動かした方が気分転換になりますよ~。」と電話があったため(泣))
二番目は、1年生の最後のトラブルなど事情をご存じの先生に新担任になってもらいたいことと、明日平にちょっかいを出してくるお子さんと接点を減らしてほしい事。
(結構なイジられキャラのため(笑))
この2点でした。
この1年の間、言いたいことが山ほどあったのですが(笑)、あれこれ沢山お願いするのも気が引けるので、どうしてもお願いしたいことだけ依頼しました。
3月末までの担任にあれこれ沢山お願いしても、新担任にちゃんと伝わるか分かりませんし、新担任には改めてお願いしたいこともあるので…。
あと、新しい担任の先生が決まったら、カウンセラーの先生からも明日平について必要な配慮について話し合ってほしい旨、お願いしておきました。
ものすごい勇気がいりましたが、こちらの現状説明と今後の希望をお伝えし、後のことは学校にお任せすることにしました。
保護者からのお願いをもとに学校で色々考えて下さった結果、担任の先生とクラスが決まりました。
落ち込んでいる明日平のために、若くて元気のいい明るい先生を配してくださったようです。
(が、これが裏目に出て後々大変なことになるのですが(笑)、それは追々…)
クラスに関しては、明日平にちょっかいを出す生徒さんと別クラスにしていただけました。
それから、嬉しい配慮があって、仲のいいお友達を一緒のクラスにしてもらえました。
あとこれは私は考えていなかったのですが、誰にでも声をかけられて顔が広く、気さくで面倒見のいいお子さんも配してくださったようです。
クラス替えについて配慮があった話は、明日平には内緒にしました。
何かのタイミングでポロっと、誰かお友達に話してしまうかもしれないので、無用なトラブルを避ける為にも大人たちだけの秘密にしました。
「いろいろありがたいな~、言ってみるものだなぁ~」と嬉しかったですし、親の私は新学期への希望が湧いてきました。
明日平は新学期について不安を口にしつつも、春休みにライン通話しながらゲームしていたお友達に会えるのが楽しみで、登校する気満々でした。
でも、のんびりほのぼの穏やかで優しい明日平を見るのは、この日が最後になってしまったのでした。
初期対応の際、カウンセラーさん(以下、K先生)が一緒に対応していただけたことは不幸中の幸いだったと、とても感謝しています。
K先生は、明日平が小学校6年生からお世話になっている方で小学校から中学校にかけての不安定な明日平と私を支えて下さった先生です。
明日平が不登校になって誰とも会わなくなってからは、私が一人でずっと今も通い続けています。
元々不調の兆しはあったとはいえ、放心状態の子供がいきなり早退してきたら私一人であわてふためいたかもしれないし、
次の日も冷静に、明日平をそっとして休ませてあげる対応ができたかどうか怪しいです。
前回の記事にも書きましたが、明日平の様子が尋常じゃなかったので(K先生曰く「乖離状態」)、頼りない母親の私はテンぱっていた可能性が高いです。
「どーしたん?」「大丈夫か?」と、何度も問い詰めしまってたような気がします😱
「初期対応」と言っても、そっと見守って休ませただけなので、大層なタイトルをつけてしまってすみません(笑)
早い話が、学校を休みたいのもOK、クラブが辛いと感じるのも辞めるのもOK、本人が何か話したくなったら(←ここ大事✨)よく聞いて全肯定、を貫くよう心掛けました、というお話です。
今となってはもう慣れっこな対応ですが、今まさに不登校なり始めの方には、何か役に立つことがあるかもしれないので備忘録として残しておきたいと思います。
不登校になる前日、早退してきたところからの我が家での対応を時系列で綴っていきます。
前回の記事『不登校の始まりはクラブでのトラブルがきっかけ【不登校1年目】』の続きからになります。
早退するという明日平を保健室に預けて、カウンセラーのK先生に同席してもらって担任の先生と私と3人で話をしました。
K先生は、「とにかく休養が必要」とおっしゃいました。
私は「休養というのは、今晩家でしっかり休むことですか?それとも明日学校も休むことですか?明日は休みたいと言っても学校に来させたほうがいいですか?」 と質問しました。
K先生は、明日平君は1日2日では回復するような状態ではないことを担任の先生と私に説明してくださいました。
なぜなら、去年からずっと続いていたストレスだから、数日休んだだけでは回復しないし、ストレスの元(クラブの連帯責任制)を取り除かないと根本解決にならないという訳です。
まず、自宅でゆっくり休むのはもちろんのこと、元気が戻り次第安心して登校できるような環境づくりの、両方を進めておかないといけない、と。
担任と話し合った結果、終業式まであと4日しかなかったので、4日間丸々休ませていただくことにしました。
今では考えられませんが、この時は4日休ませるだけですごく緊張したのを覚えています。
明日平が苦しんでいた学校の問題は学校の先生間で調整してもらい、休養と見守りは保護者が受け持つ、という役割分担も明確になりました。
そんなこんなで、3学期残り4日と春休みの期間でゆっくり心と体を休ませることを、担任、K先生、保護者の私の3者で確認してこの日は明日平を連れて帰りました。
ただ、クラブの改善については、学校は前年からずっと消極的でした。
先生同士というのは、お互いの教育方針に強く口出ししづらいのかもしれませんね。
カウンセラーの先生から口添えしてもらっても、私から伝えても全然ダメでした。
担任の先生も「はぁ。そう伝えます。」とは返事していましたが、「そんなこと私に言われても~🙄」みたいな困惑顔でした。
部員全員で連帯責任を負っていたのに、音を上げたのはうちの明日平だけなので、先方(顧問)もきっと???状態だったんだろうと思います。
うちの明日平が規格外のヘタレでこんなことになったんだと思われてるんだろうな~、と思うと悔しかったです。
この時期「規格外のヘタレと大げさな母親」みたいに対応されているのを痛いほど感じて、悲しく悔しい思いをすることが多かったです😩
クラブに関しては、結局「あぁ、これは何を言ってもダメだわ…。」とあきらめて、私の一存で4日どころか強制的に無期限休部させたのでした。
この日の朝、学校を休むことは決まっていたのですが一応「今日はどうする?」と明日平に声をかけました。
すると明日平は、「休む」と一言言って気まずそうに布団にもぐりました。
4日間頻繁に「頑張って学校に行った方がいい?」「怒ってない?」と聞かれました。
「全然大丈夫だよ。この機会に心と体を休めようね。」と私は言い続けました。
この後4日間の本人の罪悪感たるやものすごいものがあり、見ていて気の毒になるほどでした。
身体がしんどすぎて布団から起き上がれない状態なのですが、学校に行けないのを気に病んで身をよじって毎日苦悶していました。
私は涙が出そうになるのを必死で我慢して、「学校を休んでも全然大丈夫なんだよ。ゆっくり休もう。」と、根気よく言い続けました。
「今までよく頑張ったし、しんどかったよな。」と声をかけると、目をぎゅっとつぶってうなづいていました。
この時はまだ正直、内心「ちゃんと回復するだろうか。このまま休ませていて大丈夫だろうか。」と不安でいっぱいでした。
「明日平君は、中1ギャップを乗り越えて学校もクラブも通いとおしました。頑張りすぎる位頑張りました。だから、回復までにはそれと同じ時間かそれ以上の余裕をもって焦らず見守ってあげて。」
という、K先生のアドバイスを胸に、一抹の不安を胸の奥に押し込めていたのがこの時の保護者(私)の対応です。
「今まで十分頑張った、と誉めて労う」
「本人の望み通り休みたいだけ休ませる」
「ここまでの状態になるには理由があると理解する」
「本人が話したくなったらじっくり話を聞く」
これらのスタンスで不登校初期を過ごしました。
ただ、あの時この対応が正しかったのかどうか、正直今も分かりません。
なぜなら不登校対応にも色々な考え方があって、人それぞれ対応の仕方が違うからです。
「ゆっくり休ませた方がいい」という考え方もあれば、「3日休むと学校に行きづらくなるから、登校を催促した方がいい」という考え方もあるようです。
確かにうちは最初の危機的な精神状態は脱しましたが、数日休んだその後は学校に行きづらい雰囲気になってしまいました。
でも、数日休んだ位ではリカバリー不可能なほど疲労困憊していたのも事実で、そんな中お尻をたたいて登校させるのは私には無理でした。
それに「話をよく聞いてあげることが必要」とはよく聞きますが、明日平はボーッと抜け殻みたいになってしまっていて、何日間かは話が出来る状態ではありませんでした。
なのでこれが考えに考えた結果、あの時我が家がとった対応でした。
一番辛かったのは明日平なのはもちろんですが、 苦しむわが子を見る私も辛かったです。
もうあんな明日平は二度と見たくないと思いました(…と願いつつ、2年後更にパワーアップして苦しむ明日平を見ることになりますが😭)。
中学1年ももうすぐ終わりという3月のある日、明日平は突然学校に行けなくなりました。
中学に入学してからのほぼ1年間、インフルエンザで学校を休んだ以外は、授業もクラブも無遅刻無欠席でした。
元々発達の凹凸がある子なので、中学進学の際、適応できるかどうか心配していたのですが、思ったよりあっさり乗り越えてくれました。
(中学進学の際の、小学校からの申し送り・引継ぎについては別記事にまとめる予定です。)
しかも本人の希望でクラブ仲間と同じ塾にも入り、「学校の授業と塾と運動部を両立して偉いな~♪」と感心さえしていました。
今回の記事は、明日平の不登校のきっかけについてです。
延々と連帯責任で全員で怒られ続けるという状態が年明けまで断続的に続きました。
全員で立たされたり、罰で学校内外の掃除をしたりしてクラブ活動ができない日々が続き、保護者達からの苦情も入りましたが全く改善されず…。
私の方からも、「当事者達は全く気にしていないのに周りのお子さんたちのモチベだけが下がって、このままでは心配です。」という現状は学校に報告させてもらっていたのですが。
夏の間はまだ持ちこたえていたのですが、秋口から少しづつ明日平の様子がおかしくなってきました。
この時はまだ具体的な診断はおりていませんでしたが、明日平には「自閉症スペクトラム」の傾向がありました。
真面目で融通が効かず、言葉通りに受け取ってしまうところがあるため、連帯「責任」を自分事のように感じ自分のふがいなさを責めるようになっていきました。
あれから3年たった今も、「責任」という単語が耳に入るとパニックになります(泣)
よっぽど辛かったのだろうと思います。
でも、小学校からのお友達数人と行動を共にしたいという思いが強いのと、責任感が人一倍強いのとで、クラブを辞めるという選択肢は本人にはありませんでした。
当時の私には、「中学生になったのだから自力で問題解決する力をつけさせたい」という思いもあり、本人の意思を尊重してしまいました。
今にして思えば、あの時無理にでもクラブを辞めさせていたら…、と後悔しきりです。
明日平は小学校の高学年の時、手洗いがやめられなくなった時期がありました。
冬に手に粉が吹いて真っ白になり、ビックリして皮膚科に行ったのですが、
「お子さんにはよくあることだから心配しないで。そっとしておいた方が自然に収まるから(^o^)」
という先生のアドバイスをいただき、少し楽観していました。
そして先生の指示通り、手洗いについておおらかに見守るように心がけているうちに、いつの間にか強迫症状が治まりました。
(この後別件がきっかけで、小児科で初めて「自閉症スペクトラム」の可能性を指摘され、児童相談所に相談に行くのですが、その話はまた別の機会に。)
ところが2年の時を経て、小学校の時にもあった強迫の症状(主に潔癖症)が再び中学1年で出てきました。
小学校の時の潔癖が可愛いとさえ思えるほど、強烈な潔癖症が出て徐々に生活に支障をきたすようになりました。
まず、外のものを家の中に持ち込めなくなり、学校や塾の宿題を玄関土間で済ませるようになりました。
教科書や服など外で使うものを全部、全部玄関に置いておく状態がずっと続き、それはちょっと異様な光景でお客様も呼べなくなってしまいました。
学校から帰るとまず宿題と翌日の時間割を玄関土間で終え、服を全部脱いで洗面所に直行して、長い間シャワーを浴びていました。
ず~っとシャワーを浴びているので時間が経ってしまい、帰宅して宿題をしてシャワーを済ませると、あっという間に塾の時間になってしまい…。
その後塾に行って帰ってきても、また服を全部脱いで洗面所に直行して長時間シャワーや風呂に入っていました。
本人も風呂やシャワーを辞めたいのに辞められず、泣きながらシャワーを浴び続ける日々が続きました。
服もシャワーのたびに全とっかえで、このころは2人家族なのに1日に3回も洗濯していました。
そして外出するたびの手洗いや風呂にこだわりすぎて疲弊してしまい、そのうち塾に行く気力をなくしてしまいました。
親子でいろいろ相談した結果、塾を辞めることに…。
その時は、塾を辞めて夜ゆっくり休む時間を確保できたことで、何とか2学期を無事終えることができました。
学校から帰ってから出かけることがなくなったので、それまで何度も入っていたシャワーとお風呂の回数が減ったのも、心理的な負担減につながったと思います。
後付けの理由ですがもう一つ、この年の夏からジュニアプロテインを飲み始めました。
運動部だったので身長を伸ばしたいから、という理由からですが、今にして思えば、クラブから帰宅してすぐ毎日プロテインを飲んでいたのも体力と気力の温存に役立っていたと思います。
(これが今、「睡眠」と「休養」と「栄養」を特に大切にするきっかけとなっているのですが、この話はまた別の機会に。)
年が明けて「不真面目を罰する連帯責任」の懲罰が終わり、やっと本格的にクラブ活動が始まると、今度は部員の「下がったモチベを叱責するための連帯責任」の懲罰が始まりました。
いろんなパターンの連帯責任ペナルティがあったのですが、明日平は「声が小さい」と責めらるのが一番つらかったようです。
「声が小さい」とか「やる気を見せろ」と言われ続けたのですが、チビの特性上、指示が曖昧すぎてどうすればいいか分からなかったみたいで…。
そのころタイミング悪く、学校行事で歌う合唱練習があり、「声が小さい」と学年全体練習でも(全員に向けて)指摘されたようで悪いことが重なりました。
「毎日声を出せと怒られる。出しても出しても怒られる。もっと大きな声ってどれ位のボリュームか分からない」と自宅で泣くことが続きました。
そしてその内普段の「声」も出せなくなって、オドオドして挙動不審ぽくなり、同級生にからかわれるようになりました。
ここでさすがに明日平本人も、もうクラブは無理だと思ったようで、私にクラブを休みたいと言いました。
(辞めるのは自分で自分が許せないので、ひとまず「休む」という選択をしたようです。)
私もずっとクラブなんかやめちゃえばいいのに、と憤慨していたので、渡りに船と即効で顧問に電話しました。
ところが顧問は、「厳しいことを言うようだけど、あえて明日平君には乗り越えてもらってクラブ活動させたい。」と。
私はオバちゃんなので「はぁ?クラブを辞めるか辞めないかはこっちが決めることですけど。」と思ったのですが…。
明日平はクラブを休むことすら許されないと思い詰めてしまい、その日ずっと勉強机の下にもぐって泣いていました。
クラブの顧問との全くかみ合わない電話の次の日、暗い顔で学校に行った明日平は、午後になって学校を早退してきました。
後で聞くところによると、クラブの時間が近づくと不安で気分が悪くなったんだそうです。
カウンセリングルームにいったん退避したのですが、先生から「大きなストレスがかかって乖離しているようだ。今日は連れて帰ってゆっくり休んでください。」と言われました。
無表情でボーッとして抜け殻みたいな、一種の放心状態になっていました。
何か聞かれても無言か、「わかりません」とつぶやくことしかできなかったようです。
そしてクラブも、私の強い意志で休養させることにしました。
(クラブでの問題は前の年から何度も問題になってるので話がスピーディで、最終は上の許可をもらって休部させました。)
1週間学校とクラブを休み、春休みを自宅でゆっくり過ごしたら、2年生はまた元気に登校してくれる、とその時はまだ信じていました。